夕暮れの帰り道

 

 

夕暮れの町を重い足取りで家路に向かう影が一つ。
なんとか家に帰る時間を遅らそうと寄り道に寄り道を重ね、歩く速度も普段の3分の1ほどにして歩いている。

「もうすぐ家に着いちゃうな…」

肩を落として立ち止まった少年の名は一馬といった。
あと数十メートルで家に着くというところで一馬は方向転換し、本日何度目かの寄り道を決行した。


コンビニに入り、店内をうろうろしてみたもののマンガ雑誌は別のコンビニで立ち読みしてしまったし、なにか買うには財布がさみしいしですぐに店を出る事になった。

「もう寄るとこねえよ…」
溜め息を漏らしつつふと横を見るとまだ宵の口だというのに缶ビールを片手に盛り上がっている集団があった。
ああいう大人にはなりたくないなと思いつつ歩き出すと一馬の後頭部に空の缶がコーンと音を立てて当った。
振り返ると、たむろしている集団のうちの一人に「見てんじゃねーよ」と怒鳴られた。
少し腹が立ったけれど、かわいそうな大人にかかわるのはよそうと思って無視して歩き出そうとすると、今度はわき腹に少し中身の残ったビールの缶が飛んできた。

「シカトこいてんじゃねーよ、痛い目にあわせてやろうか」
集団がそれをきいてげらげらと笑う。残念だけれど俺はそんなに気の長い方ではないんだよな、とぼんやり立ち尽くしながら一馬は思った。
一馬が怯えていないことが気に食わなかったらしい缶を投げた男は、一馬の方に近づいて下から上までいかにもガラが悪そうに眺め始めた。
実際こんなことやる人いるんだ…頭の片隅で思いつつ男の仲間の数を数えていく。

3人4人……5人目は横から伸びた長い足に蹴り飛ばされて視界から消えてしまった。
一馬は驚いたが、蹴り飛ばされた本人とその仲間はもっと驚いていた。

「てめっ… なにしやがる」殴りかかろうとする腕を払って顔面に一発。きれいに決まった。
「てめえらこそ何やってんだよ。大人として恥ずかしくねえのか?夕方から酒飲んで、将来有望な学生に絡んで」倒れる男に向かって言いながら横から殴りかかってくる男のわき腹を靴の底で蹴る。男は横に飛んだ。
あっけにとられている一馬と一馬に絡んできた男の方に寄ってきたその男はメガネをかけていた。
「その子を放せ」
「誰だテメエ!こんなことしていいと思ってんのか?!」
「そのセリフ…」 ドゴッという鈍い音がして酒臭い男が崩れる。「お前にそっくり返してやるよ」
目の前でメガネの男の拳が鳩尾に入る瞬間、一馬は周りの景色がスローモーションになったように見えた。


「大丈夫か?」とメガネの男が一馬に聞いたが、一馬はうまく返事ができなかった。今見た光景が自分の身に起こったことのようには思えず、さっきの瞬間だけが頭の中で繰り返されていた。
「怖かったのかな…もう大丈夫だぞ」
メガネの男が少しかがんで一馬の顔をのぞきこんだとき、後ろからさっきげらげら笑っていた男がメガネの男に殴りかかってくるのが見えた。

「あぶない!」
一馬は左手でメガネの男の腕を掴んで引っぱり、後ろからきた男のこめかみに右フックを叩き込んだ。
男が顔を押さえて逃げていくのを見ながら、一馬はメガネの男の腕を掴んだままだったことに気づいて慌てて離し、それから男の方に向き直った。
「ごめんなさい」
メガネの男は驚いた顔をしていたが、すぐに笑って一馬の頭をぽんぽんと叩いた。
「俺が助けるまでもなかったなあ。ケンカ強そうだなお前。」
さっきまでこわい顔をしていたのがうそみたいにメガネの男は優しそうに笑ったので、一馬は目が離せなくなってずっとメガネの男の顔を見ていた。


「いっけね、俺こんなことしてるヒマなかったんだよ!ただでさえ道に迷って遅刻してんのに!」
メガネの男が急に慌て出した。そういえば時間が潰せてラッキーだったなと一馬は思った。
今日は成績が思わしくない一馬のところに、母が見かねて頼んだ家庭教師がやってくる日なのだ。勉強がしたくないから成績が悪いわけなのだから、家庭教師などもちろんごめんである。そういうわけで一馬は家に帰りたくなかったのだった。
「なあ、お前この辺で桐生さんって家知らねぇ?お前と同じくらいのカズマくんって子がいるらしいんだけど」
一馬はびっくりした。桐生というのは一馬の苗字だった。メガネの男はどうやら一馬の家を探して迷っていたらしい。ということは、
「あんたが俺の家庭教師なのか?」
今度はメガネの男がびっくりする番だった。「お前が『カズマくん』?!」メガネの男はすごく焦ってきょろきょろし、後ろでまだのび ていた一馬に絡んできた男を見て、あちゃーという顔をしてそれから一馬の方を見て照れくさそうに笑った。
「なんかヘンなはじめましてになっちゃったな。
ゴホン。  今日からきみの勉強を見ることになった○○大学3年の錦山彰といいます。ニシキヤマって長いからニシキって呼んでくれな。」
「桐生一馬です。高2です。」

どちらからともなく握手をすると、錦と名乗ったメガネの男が一馬の耳元でこっそり言った。
「今のことは、お母さんにはないしょな」
一馬は可笑しくて笑いながら「はい」というと、メガネの男も笑って、「いい子だ」と言って一馬の頭をぽんぽんと撫でた。


勉強は嫌いだけれど、この人が家庭教師でよかったな。
日の暮れた道を二人ならんで家まで歩きながら、一馬はそう思った。

 

 



08/08/20//


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